京都市上京区千本通下立売東入ル 吉川染匠株式会社4代目。35歳。
18歳で家業の染匠を継承すべく同業他社へ入社。10年間の修業を経てのれん分けを受け独立。さらなる成長に期待が寄せられる若手染匠として敏腕を振るう傍ら、京都染織青年団体協議会の要職にも就く。
野球選手になりたかったと、幼きころの夢を語る氏はスピード感と若々しい判断力を備え持つ。業界の若手リーダー的存在と人望厚し。
いよいよ引染め。地入れのときと同じような要領で、生地の右から左へ刷毛を動かしながら染めていく。職人さんの真剣な仕事振り。腕を組みじっと見つめる吉川さんの表情はかなり怖い。簡単そうに見えるがとんでもなく難しい作業だと思う。作業途中で前に塗った部分が乾燥しないだろうか?ムラは出ないのだろうか?濃い色を染めるときは普通、表と裏と2回づつ。裏面は染料を含まない液を使い、模様の防染部分(注)を避けて注意深く行う。まさに長年の経験と熟練の技がモノを言う。吉川さんはほぼ毎日のように染めの現場に足を運んでいるのだろう。一見ルーチンな業務でありながら、実は、一瞬一瞬が勝負。上手く行かなかったときのリスクを背に、クライアントを唸らせるきものづくりを目指す気構えが伝わってきた。
階下に下りると、そこはもわーっと湯気が立ちこめ暖かい。ここでは引染めが終わり乾燥させた生地を蒸す作業が行われる。染料液を生地にしっかり定着させるとともに、完全な発色を促すための重要な工程だ。大きな蒸し器に入れ約1~2時間、100度近い高温になると言う。夏場の作業はさぞや辛いだろう。「急きモノ(仕上げを急ぐもの)以外はある程度の枚数をためて一挙に行うことで効率化を図っています。蒸し屋さんはきものの製作工程上、スパンを左右する大きな存在ですね。」と吉川さん。
蒸し工程が終わると今度は水洗い。流水の中、大きなローラーの機械に巻かれた生地に残る未染着の染料や薬剤、糊料が洗い流されていく。その光景に予感させされるのは美しい生地の発色、生地に少しでも不純物が残っていてはいけない。3段階のシャワー洗いを経て、さらに糊料はふやかして手で落す場合もあるらしい。作業場いっぱいに並ぶ様々な機械に設備保有の大変さを伺い知る。ふと見ると細長いプールのようなものが。「川と呼ぶのです。手洗いするときに使うのですが、あ、そうそう、むかし(明治から昭和初期ごろ?)は堀川とか鴨川で行っていたのですよ。現在ではイベントでしか見られない『友禅流し』とは水洗いの作業工程のことなのです。」京都の美しい水が古くは染色関係の産業を支えてきたというわけだ。最後に専用乾燥機に入れて乾かしここまでの工程は終了する。
京都の中心地を抜けるため吉川さんは車を飛ばす。いつものペースなのだろう、とにかく体育会系の動きだ。「どうでっか?きばったはりまっか」のはんなり商売人ぶりを、今の京都の若手に求めてはいけない。次に伺うのは挿友禅の職人さん宅、こちらも古くから吉川さんとお付き合いがあるらしい。普通の民家。「職人さんたちは仕事、生活の場所が一緒。だから特に知らない人を家に上げることを嫌います。早い段階でのアポは入れずに、行く直前になって『今から寄せてもらいます』」。訪問ノウハウを伝授してもらう。京都の繊維関係の会社は靴を脱いで上がらせていただくところが多い。したがって脱ぎ履きに手間取るブーツ厳禁!靴下、ストッキングの破れにも注意したい。そんなことを考えながら2階の部屋へ。数人の職人さんが畳の間に座り、友禅机(机の中央に穴が空いており下には電熱器が置かれている)に向かい作業をしていた。挿友禅工程において最も華やかであり、いわばメインとも言える手描き友禅工程は奥が深い。静かな緊張感の中、糸目の端に下ろす筆をじっと見つめる。吉川さんが発注しているきものに一筆一筆、鮮やかな命が吹き込まれていく。
(注)
防染とは、青花で書かれた下絵の線をデンプン糊やゴム糊などの防染剤に置き換えていく工程。糊を置くことを糸目糊置と言い、渋皮で作った小筒と先の細い先金を使いその中に糊を入れ絞り出していきます。