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基本的な各部分の名前を覚えておきましょう。着つけを学ぶときや着せてもらうとき、とまどわずにすみます。
また購入するとき、柄の説明を受けたりするのにも便利です。
女性の帯の原点。
仕立て上げると表裏に柄のある豪華で重厚な帯。
表に模様が入り、裏は無地の八寸巾の帯で、現代の主流を占めています。
錦や金欄で織ったものは礼装に、軽やかな柄はおしゃれ着に締めます。
お太鼓になる部分以外ははじめから二つ折りして仕立ててあり、締めやすいカジュアルな帯です。
八寸巾の帯地で、袋帯よりややカジュアルな用途に。
通常の約半分の幅で、帯あげや帯じめを使わず、
結びのアレンジを楽しみます。
半巾帯のように幅が狭く、かたい布で作った男帯が角帯。やわらかい羽二重やちりめんの生地に絞りを施したのが兵児帯(へこおび)。兵児帯は子供も締めます。
直線で構成されたきもの姿を、横線で区切って美しいコントラストをなし、かつ体の中心の腰全体をしっかり支えて落ち着いた風情を醸し出す帯。
端正な和の美になくてはならない帯ですが、きものに比べて江戸時代になるまではさほど大きな変化がありませんでした。
豪華なきものがはやりだした安土桃山時代でさえ、帯はまだ細長いものを前で結ぶだけでした。
江戸期に町人の力が増大しても、帯は幅二寸五分、現在の腰紐をちょっと太くしたようなものを腰に結んでいたのです。
結びかたにも決まりはなく、前後左右好きなところに結んで垂らしていました。現代よりスタイルは自由ですが、帯というにはあまりにも簡単でした。
ようやく江戸中期になって、歌舞伎の流行により、女形が女性らしさを強調するために幅の広い帯を背中で絞めるスタイルを考えました。
その優雅な姿があっという間に町の女性に広がり、柄や結びのバリエーションが考案されて現在の帯の原形ができ上がります。
きものを体に結わえつける道具から、やっと装飾的にも重要な位置を占めることになった帯。
流行の発信源は役者でしたが、財をなした商人がより豪華なものを求めて絵師に豪華な意匠を描かせ、職人に凝ったものを織らせ、しだいに庶民にもファッションとしてのきものが根づいていきます。
女性だけでなく男性も競って流行を追い求め、江戸と上方から全国に友禅の技法や新しい帯の形は広まっていきました。
織り技術の最高峰、西陣織が盛んになるのもこのころから。
もともと京都には、朝廷に納める織物をつくる職人がいて、鎌倉時代に現在「西陣」と呼ぶ地域へ移り住んでいました。ここで伝統を活かしながら時々の新しい感覚を盛り込み、国中の人々に重厚で高い技術を評価されて西陣織の地位が固まったのです。
今も西陣は日本一の産地として、全国の帯の約80%を生産しています。