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基本的な各部分の名前を覚えておきましょう。着つけを学ぶときや着せてもらうとき、とまどわずにすみます。
また購入するとき、柄の説明を受けたりするのにも便利です。
真っ白の生地に手描きや型で柄を染め上げる「後染め」の技法 が主です。友禅や紅型(びんがた)、ろうけつなどで色や模様 を染めたきものは、華やかでやさしい色合いが魅力。
紬(つむぎ)や絣(かすり)などのように、先に糸を染める「 先染め」を施し、さまざまな色糸を織って柄を織り出します。 街着やカジュアルな社交着としても通用します。
第一級の礼装用で、女性が親族の結婚式や正式な儀式・式典な どに着ます。黒地で染め抜きの五つ紋があり、前見ごろのつま 下に絵模様を施したものが黒留袖でミセス用。色地に三つまた は一つ紋で絵模様があるのは色留袖といいます。
真っ白の生地に手描きや型で柄を染め上げる「後染め」の技法 が主です。友禅や紅型(びんがた)、ろうけつなどで色や模様 を染めたきものは、華やかでやさしい色合いが魅力。
全体の模様の入ったきものや、裾・左前袖・左肩から衿にかけ てが絵羽(広げると一枚の絵のようになる)模様のきもので、 近年はもっともポピュラーな略礼装として幅広く着られていま す。入学式の付添い、友人の披露宴、パーティー、茶会などほ とんどの改まった席にOKで、年齢や結婚の有無も関係なく着 られます。
絵羽模様(えばもよう)
振袖や訪問着などに用いられる模様で、仮縫いをしてから染めます。模様が縫い目に渡って続くように入っています。広げると、縫い目に柄がかかり一枚の絵のようになります。
普段におしゃれ着に着ます。全体に細かい模様が入ったものが 主体で、お稽古ごとやデート、ショッピングなどにぴったり。 若い女性なら、セミフォーマル・パーティーにも着られます。
告別式、通夜などに親族が着る、黒無地に五つ紋のついた喪の 正装。帯・帯じめなどもすべて黒で統一します。法事などでは 地味な色合いの紋付き色無地に、黒やグレーの帯を締めます。
全体を一色に染め上げたきもので、黒以外のもの。紋を一つつ ければ礼装になり、紋がなければおしゃれ着に使えます。
袖・身ごろ・衿の模様がすべて上向きに絵付けされたものの総 称で、訪問着よりはややカジュアルに用います。
男性のきものは紋付羽織袴が正式な礼装です。黒以外でも羽織 ・袴で紋が付いていれば略礼装としての格付けになるので、自由にコーディネートを楽しみましょう。 ふだんの外出には紬や御召、もっとカジュアルにはウールのアンサンブルなどを着ます。
じゅばんをつけずに素肌に着る夏のきものです。
縄文時代~弥生時代~大和時代
日本の民族衣装「きもの」のルーツをさかのぼれば、縄文時代には筒型の布に穴をあけただけの「貫頭衣」と呼ばれる、サックドレスのようなものを着ていました。
弥生時代後期には上着と下ばきの二部式になり、男性はズボン状のもの、女性はロングスカートみたいなものをはくようになります。このあたりまでは洋服のようなイメージでした。
大和時代には中国の影響で衣服も大陸風になりますが、奈良時代の後期に入ると日本独自の風土に合った、ゆったりしたシルエットが誕生します。女性は長い袖と裾のものをはおる形で、これが今のきものの原形といってよいでしょう。
平安時代~鎌倉時代~安土桃山時代
平安時代には、より現代に近い形のきものが生まれます。貴族の女子はたくさんの衿を重ねた十二単を着用し、庶民は質素なきものに細い帯を締めた姿で過ごすようになります。
そして平安の貴族社会から武家社会に移るとシンプルになり、動きやすさが重視されだします。袖丈の短い小袖が中心になって、帯も細長いものを前で結ぶ形です。
安土桃山時代は、小袖の形はそのままに、華麗な模様を施した豪華なきものが生まれます。 貴族や武家だけでなく、商人などが力をつける時期でもあるので、町人もだんだん派手なものをまとうようになってきます。
江戸時代~明治~大正
江戸時代に入るといちだんと町人の力が強くなり、きもの、帯の素材や模様だけでなく、帯の結び方、髪形、小物の細工なども凝ったものがどんどん生み出されます。友禅や西陣織が開花するのもこのころです。それが鎖国によって、いっそう日本独自の文化として培われ、現代の和装の基盤ができ上がります。
長い江戸時代が終わり、明治になって洋装が導入されると、しだいに西洋スタイルの生活習慣が定着します。
大正の中ごろからは洋装主体の生活に変わっていきましたが、きものは大切な儀式やとっておきのおしゃれには欠かせないもの、またぜいたくを楽しむ象徴として変化してきました。